エゴ/理解 Ego/Understanding
★The Woman and River crossing
昔、坦山和尚が仲間の奕堂(えきどう)と二人で旅をしていたときの出来事。
膝まで埋まりそうな泥濘(ぬかるみ)の狭い道に差しかかったところ、
その向こうから16歳くらいの少女が歩いて来ました。
道は狭いし足元も悪く、おまけに二人とも大柄なので、
うまくすれ違うことが出来ない。

少女が困っていると、
坦山和尚は無造作に少女を抱き上げてクルリと向きをかえ、
少女を足場のよいところまで運んであげました。
この様子を見ていた奕堂は評判の堅物。
数町ばかり進んだところで、意を決して坦山和尚に苦言を呈しました。
「坦山君、ダメじゃないか。僧侶は不浄な女性に手さえふれるべきでないところを、あんな風に抱きかかえて運ぶなど、他人が知ったら何と思うだろうか。今後は慎みたまえ」
坦山和尚は大笑して答えたそうな。
「はっはっは!奕堂君は随分むっつりスケベだね。私がとっくに置いてきた少女をまだ抱き続けているなんて……」
実際の坦山和尚 カードの絵は美化しすぎ。。。
あなたが他人の中に見るものはあなた自身が持ち運んだもの
それはあなた自身の内側で抑圧されたか、あるいは拒絶されたものの反映にすぎない
どこからそれがやってきたのか?
どこにその根っこがあるのか。
どのようにしてそれは起こるのか?
どのように働くのか。
どのようにしてそれは
あなたを圧倒するのか?
怒りの中に入るとどうして
あなたは狂ってしまうのか?
今までにも怒りが
起こったことはあったろう。
今また怒りが起こっている・・・
理解という新しい要素を
付け加えてみる。
その根っこを理解するのに
少々、時間がかかるということですね。